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ありがとうノムさん。

ノムさんこと、野村元監督が亡くなりました。本当にありがとうございました。
今日は完全にファイナンスとは関係ありませんが、ご容赦ください。

僕がヤクルトファンになったのは、小学生か中学生の頃、叔父に連れて行かれた横浜スタジアムで、当時大洋のリリーフエースであった中山から広沢が逆転ホームランを打った試合を直接見たのがきっかけでした。当時テレビでは、巨人戦しか見れず、他のチームのことをよく知らなかったのですが、こんなに面白いチームがあるんだ、と感じたものでした。

当時、ヤクルトは本当に弱いチームで、巨人戦、阪神戦以外は神宮球場などガラガラで、都内の中高に通っていた僕は、学校が終わってから神宮球場に行っても余裕で観戦できました。3連戦を見に行って、3連敗したこともあります。

珍しく巨人戦を見に行って、巨人が戦力に苦戦していた年にもかかわらず、4番原、5番有田に連続ホームランを打たれた負けたこともありました。ギャオス内藤の初勝利も神宮球場で見ました。

ノムさんがヤクルトの監督になったのは、僕が高校生の頃でした。野村スコープを駆使して、解説者として活躍していたノムさんの解説は面白く、ノムさんが監督やってくれるなら、もしかして、と期待をかけていました。すぐに結果はでませんでしたが、明らかに選手はかわり、ついに1992年にセ・リーグで優勝します。この年、中高時代、大学の係属校にもいたのに関わらず、まったく勉強しておらず、代々木ゼミナールの代々木校で、朝から晩まで反省しながら勉強していました。しかし、久しぶりの優勝、自分がファンになってからはじめての優勝にいても立ってもいられず、受験直前期でしたが、神宮球場へ深夜並んで前売り券を買い、第1試合目に球場に行きました。この試合は伝説の杉浦の代打逆転満塁サヨナラホームランがあった試合です。1塁側の一番ライトより、ライトのホームランポールの真横くらいの席をやっととった僕の前を杉浦の弾丸ライナーがすっとんでいったことを、鮮明に覚えています。

この年、西武には日本シリーズで負けてしまいましたが、試合後、大興奮の僕は歩いて代々木まで戻り、それから勉強しなおしたことも記憶に残っています。

その後、古田という稀代の名キャッシャーを育て、古田が怪我をしなければ優勝、古田が怪我をすると優勝できない、というシーズンを続けてくれました。それでも毎年優勝の期待が持てる、ヤクルトファンにとっては夢のような時代でした。

その後、阪神や楽天、シダックスの監督を歴任しつつ、ボヤキとともに野球について熱く語るノムさんは、お目にかかったことはありませんが、師匠、いや一ファンからすれば、神のような存在でした。

ノムさんが教えてくれた

「負けに不思議の負けなし」
「野球選手である前に1人の人間であれ」

という言葉は今でも大切にしています。
それぞれノムさんのオリジナルではなかったようですが、それだけ勉強をされていたということでしょう。これは野球に限りません。

そしてこれをもとに、僕は

「正しいことを続ける」

ということを自分なりに追加していきたいと自分に言い聞かせています。

古田がもう一度監督をやって、結果を残して、人を残して行ってほしいです。
ノムさんから、古田に監督をやれ、とメッセージがあり、古田は「はい」とはっきり答えていました。
そのときを待っています。

ノムさん、ありがとう。

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